大学を卒業してから8年間。
メーカーにて経理・購買業務を担当。 保険業界とは全く関係ない製造業出身、しかも営業未経験だった私ですが、保険代理店を開業してから結構な年月が経過しました。

今となっては、保険業界で過ごした時間の方が長い社会人生活です。
何年経過しても、この業界にやってきた初心を忘れないために、これまでの汗と涙の道のりを振り返って書いてみます。

全て実話ですが、いかんせん長文ですので、(疲れますから)軽い気持ちで読んで下さい。
こんな道のりがあって、今の我々があります。

第一章 道は自分で拓く・・・未知なるフィールドへの挑戦

1.保険業界との出会い

某メーカーの会社員時代、97年のある日 保険業界と最初の出会いがあった。
先輩からの紹介で、◯◯生命の男性営業パーソンと出会う。

ビジネスマン

保険セールスのイメージが、それまでと180度変わった。
数年後、その自分が保険業界に飛び込むなんて、当時は想像もしなかったけれど、そのアドバイス法・考え方・商品等に衝撃と感銘を受けた。
保険はもちろん、お金の使い方は勉強しないと損をすると、はっきりわかった瞬間。
(いわゆる)情報弱者だと、損することはあっても、得することはない!

2.不完全燃焼の毎日

入社7年目(99年)ころから、夕方の5時半までやることを探す毎日。
30歳を前にして、いわゆる窓際族っぽい生活に突入。
完全に不完全燃焼。

「経験のために、営業部に異動させてください!」

熟慮に熟慮を重ね、思い切って上長に相談してみた。
(大変懇意にして頂いた上長で、肩書きは常務)

勇気を振り絞った申し出ではあったけれど、けんもほろろに玉砕
相当可愛がってもらっていただけに、当然といえば当然の結果。
逆に、上長からは裏切りのような気持ちを持たれたかもしれない。

異動は聞き入れてもらえず、いわゆる公募制度があるわけでも無く・・・
仕事を通じて、人間としての成長はもう無いのか?
段々と思い詰めるようになっていった。
もっと率直な言葉で言えば、腐りはじめていた。

時間つぶしに取引先訪問や工場視察(海外含む)をすれば、接待を受け、各地の美味しい物をご馳走になる。
部署柄、とても美味しい思いができる会社員生活ではあった。

なぜか不思議と数字は付いてくるもので、社長賞・本部長賞を連続受賞したりと高評価をもらう。
暇を持て余して高評価を得る、不完全燃焼な日々。
しかも休暇が取りやすく、毎年1~2回、夫婦でシーズンオフの海外旅行を楽しむなど、それなりに優雅な会社員生活。
楽だけど、楽しくない。

悩む日々

3.人間がダメになる

全力投球をしなくても高評価を得られる日々に、悩みはさらに深まる。
このまま進むと、薄っぺらい人生で終わる。
定年を迎えるころには・・・。

00年、世はITバブルと言われた時代
ベンチャー企業の株式公開の記事が、毎日のように新聞で踊っていた。
転職も検討し、株式公開を目指すベンチャー企業を数社訪問。
社長も従業員も、会社も含めてみんな若い。
私と同世代、いや、もっと若い場合もある。

話を聞けば、給与水準は決して高くない(むしろ低い)が、土日・盆に正月もなく仕事に打ち込んでいるとのこと。
それでもみんな目が輝いている。
各人、きちんとした夢があるようだ。
「一緒にやらないか?」と声を掛けて頂いたけど、行かなかった。
というより、自分自身が恥ずかしくなって、行けなかった。

自分の夢って何なんだろう。

結婚をし数年経過、30歳になった時考えた。
これまでの人生で、どんな足跡を残しただろうか
楽なだけで、足跡なんて何も残ってない人生じゃないか!

足あと

4.脱サラを決意

在職中、たくさんの出会いがあった。
いわゆる国際的な優良企業はもちろん、多くの中小企業の社長さんとの出会いもあった。

中小企業の社長さんとの出会いは、特に印象的である。
会社の看板で仕事をしている自分たちに対し、中小企業の社長さん達は自分の腕で仕事をする。
自信に満ち溢れ、自身の仕事に誇りを持って取り組む姿を「格好イイ」と思った。

※「自分の実力」と「会社の看板」を区別することができなくなっている人をたくさん見て、とても恥ずかしいことだと、新入社員の頃からずっと思っていました。

そうだ、私も脱サラして、人生を楽しもう。自分と勝負しよう。
ベンチャー企業などの出会い含めて、決意するには十分な状況だった。
で、何すんの? 何ができんの?
胸に手を当てて、やりたいことを考えた。
ファイナンシャルプランナーになろう!

お金の専門家 ファイナンシャルプランナー

◯◯生命と出会ってから3年。
以来、マネー雑誌を見ながら独学を重ねていたが、本格的に勉強を始めることにした。
生命保険を得意分野とするファイナンシャルプランナーを目指すことは、すぐに決まった。
「◯◯生命との出会いが、後の人生を変えた」といっても間違いではない。

もちろん、保険セールスに対する世間の評判は、あの時の自分も知っていた。

5.どの保険会社を選ぶか

◯○生命と出会って以来、生命保険には大きな可能性を感じていた。
でも、保険会社を選ぶポイントとして重視したのは代理店制度を採用していること。
様々な制約が予想される、保険会社との雇用関係は不要だった。

売らんがための保険セールスになりたいのではなく、公平・公正なアドバイスができるファイナンシャルプランナーを目指して独立するのだ。
単に独立志向が強かっただけではなく、保険会社から固定給をもらう雇用関係が、提案する保険に悪さを与えると考えての選択。

保険会社と雇用関係を結び、専属の営業マンとなり、給料をもらいながら勉強させてもらう。
少し経ったら独立という選択肢もあったが、その間のお客様に失礼なので却下。

調べていけば、自然にアフラックにたどり着いた。
会社としての健全性も高く、CMの露出もあってイメージが良く、商品的にも自信を持って提供できる、すぐに直感した。
アフラックの門を叩くことにした。
数年経った現在振り返ってみても、当時の判断は正しい選択だと思う。

街並み

6.道は自分で拓く・・・未知なるフィールドへの挑戦

「脱サラして、保険代理店になる」 それを告げた際、妻は笑顔で賛成してくれた。
一方、実母は泣いた
母を泣かせたのは初めてのことで、少しとまどった。
(その後、私も子を持つ親となり、子の安定を願う親の気持ちというものは痛いほど理解できる)

自営業の父は、何も言わずに私の気持ちを理解してくれた。

義父母も反対はしなかった
心の中でどのように思っていたのかは、数年たった今でも分からない。

有り余る平日の時間に勉強を重ね、ファイナンシャルプランナー(AFP)の試験も無事に合格。
アフラックの代理店になることも内定
準備は整った。

そんなある日、部長から会議室へ呼ばれた。
「同期入社組のトップで、主任に推薦するよ!」
何とも皮肉なタイミングだったけど、秘密を告白するには今しかない。
会議室の密室で、絶好のタイミング。

安定した生活を捨てることに、その時は少し迷いもあった・・・。

退社日前の数日間、不安で眠れない夜が続いた。
それまでの人生で最大の決断だった。
(不安だったのは、心の奥で自分自身に自信が無かったということ)

未知なるフィールドへの挑戦が始まる。
もう後には引けない。

快く送り出してくれた上長、そして取引先さん。
本当にありがとうございました。感謝の気持ちは一生忘れません。